中西啓文のプロフィール〈基本事項〉
k-officeは、個人商店。
色々なジャンルのブレーンが私を支えてくれているおかげで小さな個人商店が運営できています。ここでは私個人の大学時代からの経歴を簡単にご紹介させていただきます。
基本情報
社 名:ケイオフィス
設 立:2013年4月2日
住 所:〒616-0026 京都市西京区嵐山薬師下町25-15
電 話:075-881-6855 (FAX兼用)
兼務する団体等
特定非営利活動法人 地域予防医学推進協会 副理事
関西中央高等学校 非常勤講師 など
大学時代 〈日本大学芸術学部映画学科〉
中学生の時に見た『エマニエル夫人』のような美しい映画が撮りたいと日芸映画学科へ進む。『高校大パニック』で有名になった石井聰亙(改名して現在は岳龍)と6畳一間の小さな部屋で自主映画の編集をしていました。
現在販売されている『高校大パニック』のDVDに収録されている『1/880000の孤独』にはスタッフに私の名前が入っています。ちょっと怖い映画ですが機会があればご覧ください。
写真右は卒業制作の一コマ。生意気にもアリフレックスの16ミリで撮影していました。私は休憩中かな。
ビクター高田馬場スタジオにてクラシック音楽の収録中です。ここでの経験が後の私に大きな影響をあたえました。
大学の先輩が卒業記念に制作した自主レコード『 so nice love 』の制作を手伝わせてもらいました。200枚プレスし友達たちに配ったレコードが30数年たって音楽関係者の目にとまりこの度CDになってリバイバル。新潟地方ではニュース番組のテーマソングになりプチ人気のようです。〈ジャケットクリックでプロモーションビデオへ〉
東京時代 〈NTV トップテン・カックラキン大放送など〉
日本テレビの『トップテン』や『カックラキン大放送』などの音声技師として従事。 写真左は『司会者スペース』この風景を見て「懐かしい」と思う方はもうお年寄りですね。場所は渋谷公会堂。写真右はPA席でリハーサルを終えスタッフと打ち合わせ中。この時間が一番のんびりできる時間なのです。搬出の時間が限られているので20時55分に放送終了と同時にステージのパネルが倒れてくる環境下でしごかれたため、マイクコードを巻く速さが半端なく早くなりました。
京都時代 〈KBS京都プロジェクト〉
池上通信機のHL-79というカメラ。大きくて重くて、今では考えられないぐらいカメラマンは重労働でした。このころから『何でも屋』で仕事をする環境になり、地方の放送局では人員が少なく仕方ないのかな。と思いながらも東京では体験できないことをいっぱい経験しました。
京都時代の始まりは、行政の広報番組「あすの京都」や「教育の窓」、東京時代とは真逆な硬派番組を担当。でも広報番組と言えど見てもらわなければ意味が無いのでドラマ仕立てやドキュメンタリー形式など今では考えられない自由な発想で制作させていただきました。
写真右は、使い込まれたスタッフジャンパー。ラジオ番組なのにスポーツに挑戦する「雅人のスポーツすくらんぶる」。テレビ的な構成は東京時代の経験から生まれた番組です。
京都時代 〈キッズカンパニー〉
香港にて中継。スタッフのほとんどが中国人で片言の英語での会話はとても疲れました。カメラのスイッチングも後半は「one」「two」「three」と数字の連呼だけ。学生時代にしっかり英語の勉強をしとけばと--。
写真右は1994年、時代劇もビデオで制作することが増えてきたころ、松下電器の3DOというゲームマシンの動画ゲーム「西村京太郎トラベルミステリー~悪逆の季節~南紀白浜連続殺人事件」の記念写真。主役は松方弘樹さん、普通のドラマと違ってストーリーが数通りあるので2時間サスペンスが12時間ドラマぐらいのボリュームに。他に「ウルトラマン」など数タイトル制作しました。
独立後も引き続き広報番組を担当させていただき、京都府広報番組で中国ロケを決行。知事の同行取材なのでちゃんとしたスーツをと言いながら安いスーツを買ったら1日でよれよれに。今から考えるとこのころは海外ロケが結構多かったな。やはりバブルだったのかな。
京都の御池通りを市民がパレードする「京都祭り」の中継一風景。このころからインターネットへの動画配信が本格的になってきます。写真右は1997年の『地球温暖化国際会議COP3』で外国人たちに『赤ジャン軍団』と呼ばれていたスタッフジャンパー。すべての会議をインターネットで配信する大規模なトライアル。毎日が海外にいるような気分でした。
この経験が西本願寺の『法要中継』へと繋がっていきます。本山へお参りしたくてもお参りできない方へのサービスとして現在まで続いています。そしてこれを機に産官学の研究への参加が多くなっていきました。携帯電話への動画配信システムや映画のデジタル化と最先端技術の開発や運用実験に参加できとても勉強になりました。そして時代は高画質時代に突入。映像の高画質大型化技術をいち早く学び展示映像分野へ進出。
西日本各地の防災館で地震が体感できる展示室の映像や博物館などの高画質映像等、様々な分野で展示物と一体となった映像作品の制作を行いました。日々、機材が高画質で大画面になっていく中でコンテンツをどのように表現していくか。毎回がクライアントの要望とコストの戦いでした。
京都にお住まいの方が身近に視聴できるコンテンツは京都文化博物館の総合展示室入口にある4面マルチです。
2000年、インターネットでの流通が増加すると予感し『京都から価値あるものを発信』プロジェクトを開始。従来の映像コンテンツではなく京都の伝統技術から生まれる商品開発も手がけるようになりました。下の写真は京都造形芸術大学の学生さん達と松下電器産業の協力のもと開発した『食器洗い乾燥機にやさしい茶碗』。
京都の伝統産業『組紐』の技術から生まれた新感覚のお守り『おむすび』。嵯峨野「野々宮神社」の縁結びお守りとしてヒット商品となりました。京の職人が一つ一つ作り上げていくので品質は良いのですがコストとの戦いでした。
京都時代 〈その他の活動〉
子育てなどで休職していた看護師や栄養士ママさんたちが独自に開発した紙芝居をもって幼稚園や保育所に出向き食育を中心に健康教育を行う、NPO法人地域予防医学推進協会を2004年に設立。副理事長として活動。
『けんちやん・こうちゃん』という着ぐるみで黄色は私です。長時間子供たちと遊んでいると呼吸困難になってしまいまい、夏場は死にそうになりますね。このころはまだ煙草を吸っていたので休憩の時の一服がたまらなく幸せでした。でも、会員の中で煙草を吸うのは私一人でとても肩身の狭い思いを。
2007年から亀岡で畑を借りて子供たちと『食育体験農園「びしゃもんファーム』を開設。作物が育つシーズンはほぼ毎日曜日は畑で作業をする健康的な生活を送っていました。
2009年から奈良県の関西中央高等学校に新設された『表現・情報コース』で映像制作を通じ表現力を養う授業を担当させて頂いています。1年生はクレイアニメ、2年生は学校のCM(奈良テレビで放送)、3年生はドラマ。2017年度のドラマは『サプライズ・パーティー!』高校演劇部を舞台に繰り広げられる物語。2011年で制作した作品のリメイク版です。この作品は出演・撮影・編集まで生徒たちが担当し制作します。
過去の卒業制作作品は
2011年度 「サプライズ・パーティー!」
2012年度 「保健室のミタ ~三部作~」
「七不思議にご注意を」「保健室から脱走」「未来からの友達」
2013年度 「夢花火~僕らの夢は空に咲く~」
2014年度 「EARTH」
2015年度 「幽霊のあしあと」
2016年度 「チョコレート戦争」
※都合により動画のリンクは修了しました。視聴希望の方はお問い合わせください。